2010年に撮影された、千葉県成田市郊外の限界ニュータウンの上空写真。開発から40年が経過してもまだ空き地が多く残る。(国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより引用)
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「限界ニュータウン」や「限界分譲地」と呼ばれ、郊外型ニュータウンやそのさらに外側にある小規模住宅分譲地などで空き家や空き地が増加する中、所有者が亡くなって突然相続したオーナーは、その土地が開発された経緯や当時の価格などを知らず、自力で集められる情報は限られるため土地を持て余している。千葉県北東部に散在する旧分譲地の探索ブログやYouTubeチャンネルを運営している吉川祐介氏は、昭和の時代に投機目的で開発されたそれらの土地にまつわる諸問題を解説する。同氏の新著『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、1970年代に開発された投機型分譲地について紹介する。

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投機型分譲地が「限界分譲地」に

 千葉県北東部の農村部において、1970年代の初頭から開発された分譲地の多くは、広告では、都心通勤者のためのベッドタウンとしての住宅用地と謳われていた。そこに記載されていた都内の主要駅までの所要時間は、今日の不動産広告の厳しい基準と比較するとかなり甘めの見積もりで、中には、どう考えても不可能な、虚偽の所要時間を記載する不誠実な会社もあった。

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購入者の多くは投機目的だった