幕末以前に戻った皇室
敗戦後、天皇は政治から離れて国の象徴となった。
「このときから『国と国民を見守り祈る』という幕末以前の姿に戻ります」
前出の元掌典職の人物は、こう話す。国民との触れ合いを重視し、災害に遭った人たちに思いをはせる和歌も目立つようになる。
1959年に伊勢湾台風が紀伊半島から東海地方を襲い、5千人を超える死者・行方不明者と4万人近い負傷者を出した。昭和天皇は、この甚大な被害も詠んでいる。
<皇太子をさし遣はして水のまがになやむ人らをなぐさめむとす>
「昭和天皇は、災害や天変地異をダイレクトに和歌にお詠みになった」
と岡野さんは話していた。天皇の和歌は本来、ハレのものだったが、「悲惨な現実もあるがままに表現するという近代リアリズムの潮流が、宮中の伝統文化である和歌にまで反映し変化を起こしたのです」。
そして平成に入り、皇室と国民の距離はさらに近くなる。
昭和の最後、1985年から3年間、宮内庁で総務課長を務めた齊藤正治さんは、平成の皇室をこう振り返っていた。
「両陛下は避難所で靴を脱ぎ、膝をついて被災者と同じ目線で会話をなさった。今でこそ平成の天皇、皇后の象徴的なスタイルと認識されていますが、当時はそこまでなさるのかと私も驚きました」