西行は同時代の歌人たち、たとえば、公卿・九条兼実の歌の師範になった藤原俊成のような生活もできたはずです。しかし、彼らと同じような生き方をしようとはしなかった。聖でもあり俗でもある、あるいは聖でもない俗でもない。いわば半僧半俗というかたちで、旅暮らしの中で歌を詠み続ける。そんな林住期的生き方を貫きました。
西行の生き方は『万葉集』『古今和歌集』の歌人たちとも基本的に違います。しかし、彼らをも凌ぐ才能豊かな歌人だったわけです。西行は俊成の子・藤原定家が憧れを隠さなかったほど、非常に魅力的な人間なんですね。
辞世の歌とも言われ、その願い通り、旧暦2月16日、新暦だと3月23日、まさに桜の季節に亡くなったと言われています。釈迦の命日、旧暦の2月15日の翌日です。
聖でもなく、俗でもなく、自由にさまざまな世間とつき合い、歌と戯れたい。そして自分の死にたいかたち、きれいな月を見ながら桜の花の下で死んでいきたい。西行はその通りに生き、そしてこの世を去っているわけです。
こんなにも自由に、死ぬまで遊び続けることのできた人生は、誰にとっても理想ではないでしょうか。西行は林住期的生き方の日本モデル、いや、世界モデルにもなり得る人間だと思います。