そうすると、釈迦も一時的に家を出ただけで、やがて家に帰ってくることを前提にしていたのではないかと考えられます。家出をして自由に旅をする。いろいろな人と出会いながら瞑想をしたり、楽しみにふけったりする。場合によっては遊女と戯れるということも、悪魔と積極的に対話をすることもあっただろう。そういう自由気ままな旅暮らしの中、35歳で悟りの時を得るわけです。

 先ほど述べたように、ほとんどの家出をした人間は老病死の不安にさいなまれて家に帰ります。ごくわずかな人間だけが林住期の次の段階、最終第四段階の遊行期、現世放棄者、遁世者、聖者の生活に入っていけます。

 要するに35歳の釈迦は悟りを開いたからこそ、その一人になれたのです。これが私の釈迦の人生の捉え方です。

 それは何も釈迦が初めてではありません。それまでのバラモン教の社会においては仙人のように世俗には戻らない行者たち、賢者たちがいたわけです。

 このように釈迦の人生を釈迦以前のバラモン教の人生観、インド古来の人生観である四住期という四段階のライフステージで読み替える、あるいはそれをベースにして解釈すると、その人生のみならず、その教え、その言葉をも含めた釈迦の全体像の見え方、ひいては仏教の人生観の捉え方ががらりと変わります。

半僧半俗として林住期を自由に生きた西行

 釈迦の80年の人生をどう理解したらいいか。林住期という観点を取り入れることで、私の考え方、見方は大転換しました。そして、林住期的な人生観はインド固有のものなのか、世界のどこにでもある人生観なのかと考え始め、いろいろと調べているうちに、興味あるかたちで継承されているのは日本だと気がつきました。

 林住期的生き方は、ヨーロッパにはほとんどありません。中国には若干あって、たとえば「仙人」や「不老不死」という考え方は林住期的生き方に近い。つまり、聖的な領域と俗的な領域が入り混じっているところが仙人思想の中にはあります。

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林住期的生き方を代表する日本人とは?