紫式部日記絵巻(模本)
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-8375?locale=ja)
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 生きていく上で、人間関係のストレスは避けては通れないもの。それは当然ながら、藤原道長紫式部が生きた時代にも共通していた。日本史上最も長い平安時代は、平安京にイメージ化される時期と、それから脱皮して京都と呼称される段階とに区別できる。十世紀以降の後者の“王朝時代”について、人物を介して時代を見直すアプローチを行ったのが歴史学者の関幸彦氏だ。関氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。

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道長にもあった〝はばかりの関〞

 藤原実方は宮中での暴力トラブルで陸奥へと左遷されたとされる。その実方には人間関係の煩わしさからの解放を願うべく詠じた次の歌がある。

やすらはで 思ひ立ちにし 東路に ありけるものを はばかりの関

 藤原道長と同時代の実方は、白河関を越えた陸奥にこそ人的煩わしさから解放された理想郷があると期待した。けれども期待した「はばかり」無き人間関係は望めなかったようだ。現実の人間関係の煩わしさが、この歌のポイントとなる。

 ならば、“無敵の人”とも思われる道長にも「はばかりの関」に該当する場面は、あったのであろうか。つまりは人間関係での“煩わしさ”の壁である。

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関幸彦

関幸彦

●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

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