毎年のように他球団の主力をFAで獲得する巨人だが、その陰で埋もれてしまう選手も多い。重信慎之介もその一人だ。

 入団3年目の18年、重信は9月2日の中日戦で松坂大輔からプロ初本塁打を放つなど、60試合に出場し、打率.281、2本塁打、13打点、6盗塁を記録。シーズン後半は38試合センターで先発出場をはたし、陽岱綱からレギュラーの座を奪ったかに見えた。

 ところが、同年オフ、広島から丸佳浩がFA移籍してきた結果、外野は丸、ゲレーロ、亀井善行でほぼ固定されてしまう。「最初から代走という気持ちはないです。レギュラー争いをする気持ちでやっています」と丸に勝負を挑んだ重信は、試合出場数こそ106と前年より増えたものの、先発の出番は激減。翌20年は松原聖弥の台頭もあって、さらに出場機会は減った。

 また、15年から3年連続200打席以上をマークした立岡宗一郎も、重信が台頭した18年は60打席に減り、丸が加入した19年は16打席にとどまった。1人の大物の加入によって、レギュラーを目指していた選手たちの序列も、順番に押し下げられていることがわかる。

 13年にキャリアハイの114試合に出場し、ルナ(中日)の代役としてオールスター初出場をはたした寺内崇幸も、翌14年は、西武から片岡治大がFA移籍、中日から井端弘和が移籍してきた結果、二塁が超激戦区になり、故障も影響して出場40試合に終わった。寺内が台頭するまで二塁のレギュラーだった藤村大介も同年は、前年の40試合から21試合と出場機会を減らし、これまた序列を押し下げられる結果となった。

 FA移籍してきた選手にポジションを奪われたばかりでなく、引退時期まで早めてしまった感がある選手もいる。中日を戦力外になったあと、テスト入団のソフトバンクで09年に正捕手の座を掴んだ田上秀則は、11年に西武の正捕手・細川亨がFA移籍してくると、故障も追い打ちをかけ、出場14試合と出番が激減。そのまま復活することなく、13年限りで引退した。

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元オリックス指揮官もFA選手に押し出されたのちに引退