03年から2年連続90試合に出場し、外野の準レギュラーだった日本ハム・石本努も、翌05年はヤクルト・稲葉篤紀のFA移籍や森本稀哲の台頭に押し出される形で出場56試合に終わり、同年限りで戦力外通告を受けて引退した。

 ダイエー時代の森脇浩司も、93年は主に三塁手として自己最多タイの98試合に出場したが、翌94年、阪神からFA移籍してきた松永浩美にポジションを奪われたことで、「現役選手としては、もうこのあたりだろう」と限界を感じ、96年限りで引退した。

 だが、将来の指導者候補として根本陸夫監督に見込まれたことが、引退後の野球人生を充実したものに変える。現役時代の晩年は、練習が終わると、連日根本監督の部屋に呼ばれ、組織論やマネジメントなど指導者としてのノウハウを授けられ、引退後の97年からダイエーの2軍野手育成コーチになった。そして、ソフトバンク時代の06年には入院中の王貞治監督の代行を務め、13年にオリックス監督に就任。翌14年には古巣・ソフトバンクと熾烈なV争いを繰り広げた。これもFAから回りまわって生まれた人間ドラマの妙味と言えるだろう。(文・久保田龍雄)

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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