写真家の篠山紀信さんが4日、亡くなった。83歳だった。人物、建築、美術など被写体のジャンルは多様で、作品の数々は世界で知られる。1978年から97年の約20年間、雑誌文化が盛り上がっていた時代の週刊朝日の表紙も撮り続けた。篠山さんを偲び、週刊朝日 2021年1月15日号の記事を再配信する。(年齢、肩書等は当時)
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2021年2月に創刊99周年を迎える「週刊朝日」新年号の表紙撮影は、23年ぶりにカムバックした巨匠、篠山紀信さん。その表紙を飾るのは、41年前に本誌の元祖、女子大生モデルとしてブレイクした宮崎美子さんだ。篠山さんが週刊朝日の表紙を撮り始めたのは1978年。以後、山口百恵さん、美空ひばりさん、夏目雅子さん、吉永小百合さん、大原麗子さん、安室奈美恵さん、木村拓哉さん……。20年もの長きにわたって時代を映すスターたちを撮り続けた。膨大な過去の作品群を見ながら、篠山さんがその秘話を語った。
「皆さんね、本当のプロとしての役者の顔をしていないんです。ちょっとズレている。ここに出てくるくらいの人たちは、毎週のように撮影があるでしょう。彼女たちにとっては、それは戦い。だから必ずカメラに向かって、挑むような強い表情をするんです。それもいいんだけど、『週刊朝日』という媒体を考えたら、フッと見せる自然な表情がいいんですよ」
思いがけない姿を見せてくれたのが、78年5月12日号に掲載された山口百恵だ。
73年にデビューし、翌年の「ひと夏の経験」が大ヒット。同年には映画「伊豆の踊り子」とドラマ「赤い迷路」にも出演。百恵は歌手として女優として一気に頂点に駆け上がっていった。
篠山さんが撮影時を回想する。
「百恵さんが当時やっていたお芝居に、哀しい場面があったんです。それをもう一回思い出して、とお願いしました」
そう頼んで、あとはただ静かに待っていたという。3分ほど経った頃。
「彼女の感情が込み上げてきて。涙があふれてきたんです」
撮影が行われた78年といえば、百恵は「紅白歌合戦」で紅組史上最年少のトリとして「プレイバックPart2」を歌った。人気の絶頂期にとらえた奇跡のショットである。
表紙に出てくる人物は、いずれもその時代の華。既に強いイメージが読者に植え付けられている。それだけに難しかったし、撮りがいもあったと篠山さんは語る。
「吉永小百合というと、皆、自分の中に決まった像があるんですよね。それを完全に壊してしまってはダメ。だけど、そのイメージ通りに撮ると『なんだ、いつもの吉永小百合じゃないか』っていうことになる。写真家として、それはしたくないわけですよ。吉永さんはこっちの気持ちもよく分かってくれて。上手ですよ。そういう風に演じてくれました」