「デビュー戦の相手と計量の時に会ったら、めちゃくちゃいいやつで、そのあと俺に負けてすごくへこんでたんですよ。それを見た俺は、勝ったうれしさより罪悪感の方が強かったんですよね」
自分の名を上げるための試合なのに楽しくない。教えている時や練習の方が楽しかった。
そんな時、ジムのつてで三池崇史が監督を務める映画「クローズZERO II」にエキストラとして参加する。髪と眉を剃(そ)って東京の撮影所に向かった。三池は駅まで迎えに来てくれた。学生服を着て殴るというワンカットのみの出演だったが、楽しかった。
「完成した映画を観たら、スクリーンに俺がいる。俺の格闘技は強い男への憧れから始まってるんです。ジャッキー・チェン、ジェット・リーみたいな勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の映画の中の人に憧れてた。そのスクリーンに自分がいたんですよ」
自分には格闘家しかないと思い込んでいたが、他の道もあることに気づいた。もしこの世界で生きていけるなら、俺はこっちかもしれない。
その後、東京でエキストラの仕事を始め、26歳でキックボクサーを引退する。自分が憧れていた映画のような勧善懲悪の世界とは違っていたし、殴り合うことは好きになれなかった。
エキストラの仕事で一ノ瀬はすぐに頭角を現した。当時、彼は自分が出合った名言をノートに集めていた。頭の中にあったのは、「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」という、阪急阪神東宝グループ創業者の小林一三の言葉だった。
「じゃあ、俺は日本一のエキストラになってやると思ったんすよね。ヤンキーの役が多かったから、指示がなくてもケンカしたり、突き飛ばしたりして、後ろでこんなことやってたらおもしろいでしょ、どうです、監督?みたいな感じで勝手に考えてやってた。役者を食っちゃう時もあったから、俳優さんには嫌われていたと思いますけど」
ときどき役をもらえるようになり、指名されて現場を掛け持ちすることもあった。スーパーエキストラだったと自らを振り返る。勧められて事務所に所属し、俳優として新たなスタートを切った。
エキストラ時代からの友人が、ユーチューブチャンネル「ドキドキ(ハート)ハートビート」のディレクター牧野千尋(30)だ。
何でも話し合える間柄だが、今まで一ノ瀬から愚痴や人の悪口を聞いたことがない。一ノ瀬の話を聞いた牧野が、「それは、あり得ないでしょう」と彼の受けた仕打ちに怒ると、初めてこれは怒ることなのだと一ノ瀬が認識することもある。