「俺が人が不快にならないように気を遣うのも、荒っぽい人たちを見てきたからだと思う。そういう経験によって役者としての引き出しが培われて、悪役の俺を作ってくれてるところがあるっすな」

 高校をやめるとアルバイトで資金を貯め、東京のキックボクシングジムに入った。

 東京に行くことを母親が知らされたのは当日の朝だった。仕事に出かけようとすると、ボストンバッグを持った一ノ瀬が久留米まで車に乗せてほしいと言う。

「どこに行くのときいたら東京と言うから、えっと驚きましたが、引き留めませんでした。自分の人生は悔いなく好きなように生きてほしいから。行ってくるね!と明るかったですよ。夢いっぱいじゃなかっとかな」

 困ったときは電話するようにと言い聞かせ、1万円札を渡して見送った。

 東京では高田馬場の風呂なしアパートに住み、塗装の仕事をしながらボクサー修業をした。しかし、東京の生活は誘惑が多く、仕事もきつくてボクシングに集中できない。このままではダメだと思い、2年後、沖縄県浦添市の「真樹ジムオキナワ」の内弟子となる。遊ばないように外出は禁止。ジムに寝泊まりして練習に集中し、プロのライセンスを取得した。

「俺のばあちゃんがいつも、若い時の苦労は買ってでもしろと言ってたんすよ。今、苦労できてるから、この先にきっと栄光があると思ってた」

 21歳の時にはタイに渡り、ジャングルの中にあるムエタイのジムに所属した。ジムといっても屋根と柱があるだけで壁はない。夜はリングに蚊帳をつって5、6人で雑魚寝した。食事は一日2回、会長がおかずを持ってくる。足りないのでジャングルで鳥やカエルを捕まえて煮て食べた。試合に出れば賞金はもらえるものの、金額はわずかで、ビーチサンダルを買う余裕すらなかった。

試合に勝つと罪悪感 芝居の道へ進む決意

 2年で帰国して真樹ジムに戻るが、なかなか勝てない。ジムの館長からは、「練習では強いのに、試合になると相手のガードを殴ってるぞ」と怒られた。相手が予期しないところにパンチを入れないといけないのに、なぜか反応できるところに打ってしまう。一ノ瀬は誰かを相手に戦うことが苦手だった。

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