中日が買収されていたらドアラも存在しなかった?
この記事の写真をすべて見る

 NPB球団の身売り話は、2011年にDeNAが横浜ベイスターズを買収して以来、あまり聞かれなくなったが、過去には単なる噂で終わったものも含めて、“幻の身売りプラン”が数多く存在した。

【写真】「2億円」が「400万円」に急降下 球史に残る“大減俸”を味わった選手がこちら

 まず1950年の2リーグ制導入直後は、1リーグ時代の8球団から14球団(セ8、パ6)に増えたことから、プロ野球参入を検討する企業も多数に上った。このとき、朝日新聞社も毎日新聞社(毎日オリオンズ)とともに参入を目指したが、最終的に実現しなかったといわれる。

 さらに55年に乗用車「初代クラウン」を発売したトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)も、中部財閥の意を受け、53年まで中日新聞社と名古屋鉄道が隔年で経営していた中日(名古屋)の買収を検討している。

「儲からないビジネスモデル トヨタが『プロ野球』を持たない理由」(加藤鉱著 宝島社)によれば、同社の石田退三社長は大の野球好きで、球団保有後は「トヨタクラウンズ」と命名する予定だったという。

 目玉商品「クラウン」の販売促進につなげたいという経営戦略からだが、意見を求められたスタッフたちの反応は芳しくなかった。巨人阪神など他チームのファンから敵視され、必ずしも販売促進にはつながらないと懸念されたからだ。確かに、お気軽に買える食料品なら、対戦チームのファンも「相手を食う」とゲンを担いで買ってくれるが、高価な車では、それも無理。結局、トヨタクラウンズは実現することなく終わった。

 72年、経営難の西鉄身売りの際に名前が浮上したのが、ペプシコーラ・ジャパンとパイオニアの両社だ。

 同年、8球団による1リーグ制移行プランをセ・リーグ側に断られたロッテ・中村長芳オーナーは、パ・リーグ存続をかけて、西鉄の身売り先候補として両社と交渉した。

 だが、ペプシコーラは10月20日、福岡の本拠地問題や累積赤字20億円といわれる財政難を理由に断ってきた。一方、「20億円ぐらいでプロ野球を経営できれば安いものだ」(石塚庸三社長)と当初乗り気だったパイオニアも、もう1球団、東映(現日本ハム)まで身売り危機であることを知ると、「パで観客動員ナンバーワンのチームが身売りするようでは」と一転難色を示し、話は流れた。

次のページ
世界的企業にも球団買収のプラン