その後、西鉄はレジャー産業の太平洋クラブが買収し、口利き役の中村オーナーがロッテを退団して自らオーナーに就任したが、もし、このとき“パイオニアライオンズ”が実現していたら、現在の西武の球団史がどのように変わっていたかも興味深い。
78年には、日本マクドナルドの藤田田社長もプロ野球参入構想を明らかにしている。
戦争中に青春を過ごし、野球とは縁がなかった藤田社長だが、マクドナルドの経営者になると、ハンバーガーの需要層と野球ファンが一致することを知り、「プロ野球チームを持とう」と思い立った。さらに当時日本になかった屋根付き球場を作り、「大リーグに負けないチームにする」(月刊経済1978年11月号)という壮大な夢を描く。
パドレスのクロック会長は米マクドナルドの前CEOでもあり、協力を快諾。藤田社長も同年9月、セ・リーグの鈴木龍二会長に「セを8チームに増やして運営できないものか」と打診している。だが、マクドナルドの名を冠した球団が誕生することはなかった。
1990年には、米2Aバーミングハム・バロンズを買収したサントリー・佐治敬三会長が「まず2Aの球団を運営して、勉強してみてから、日本のチームのことを考えようと言っておったんです」(月刊経営塾1990年5月号)と将来のプロ野球参入をほのめかし、話題を呼んだ。阪神、ヤクルトが候補として報じられたが、いずれも噂の域を出ないまま立ち消えとなり、95年にプロ野球OBから成るモルツ球団が誕生した。
実現寸前まで行きながら破談になったのが、2010年の住生活グループによる横浜買収劇だ。
02年にマルハから球団を買収し、筆頭株主になったTBSホールディングスは、10年3月の連結決算で23億円もの純損失を計上。チームも3年連続最下位と低迷し、テレビ、ラジオ中継との相乗効果も薄れる一方だった。
この結果、広告宣伝費として毎年約20億円を球団経営に補填することが重荷となり、10月1日に「身売りを検討中」と公表した。これに対し、名乗りを挙げたのが住生活グループ(現LIXILグループ)だった。4月に新ブランド「LIXIL」を設立したばかりの同グループは、かつてのオリックスのように、プロ野球参入によって新ブランド名の知名度アップを図る狙いもあった。