安倍さんの死後、私は初めて、昭恵さんと晋三さんは本当に仲が良かったのだと思うようになった。家族の宿命で政治家になり、祖父から3代にわたり関係があったとされる宗教の被害者によって殺害された晋三さん。初代社長と2代目社長、それぞれの孫同士の結婚で生まれた昭恵さん。彼女は日本を代表する国際的企業の親族経営を決定的にする象徴としての子どもだった。生まれる前から定められていた「一族の子」としての宿命を背負うふたりは、同じ境遇の人にしかわかりあえない痛みを共有できる関係だったのかもしれない。妻と夫というエロス的関係以上に、「○○家の子」として生きることを宿命として引き受けるしかなかったお嬢ちゃまとお坊ちゃまだったのかもしれない。ふたりでいる限り、成熟しない子どもでいられる。それはなんて、居心地の良い関係だっただろう。悪いのは全部、他の人のせい。私は何も知らない。何も責任をとらない。だって、子どもだから。そしてこの国は、印籠をもったそんな子どもたちに振り回されてきたのかもしれない。
ひとりぼっちになったお嬢様は今どうしているのだろうか。ここまで印籠を使ったら、もう印籠の価値はない。価値のなくなった印籠を、昭恵さんは手放せるのか。安倍政権の闇が明るみになりつつある今、昭恵さんが、人前に出て自分の言葉で話す日は来るだろうか。自分が関わった事件で人が亡くなったことの現実に、昭恵さんが責任ある成熟した大人として向きあえる日は来るのだろうか。