「アッキード事件」が発覚していないころ、昭恵さんは「UZUの学校」という「学校」を開いていた。女性の活躍、リーダーの育成などを謳う学校で、アーティストのスプツニ子!さんや、はあちゅうさん、古市憲寿さんといった若手著名人らを講師に招いていた。総理夫人×○○、という異色の組み合わせが話題にもなったのだが、そもそもこのプロジェクトの名前は「水戸黄門プロジェクト」と呼ばれていたという。2015年の「日経クロスウーマン」の記事で、プロジェクトを一緒に立ちあげた男性が、こんなふうに楽しそうに「水戸黄門プロジェクト」の意図を語っている。

「(学校のプロジェクトは)最初は『水戸黄門プロジェクト』だったんですよね。昭恵さんが各地を訪ねていって、現地の活動に入り込んで交流するという構想もありました。隣で一緒に農作業していた女性がふとほっかむりを外した時に、周囲が『あなたは昭恵さん?!』とどよめくみたいな(笑)」

 短いテキストだけれど、これは昭恵さんが近しい人にどのように扱われてきたのかがわかる貴重な資料だと思う。いったいこの国に、印籠を使える(と勘違いできる)女はどのくらいいるだろうか。昭恵さんには黄門DNAがあるのだ。「総理夫人」以前から、森永製菓創業者一族の娘として生まれ、身分を明かすごとに、目の前の人の目の色が変わるという体験を、幼いころから昭恵さんはしてきたことだろう。それでもフツーの黄門は、他人の目の色の変化を警戒し、慎重に振る舞うことを身につけるものである。

 ところが少なくとも総理夫人時代の昭恵さんは、印籠を多用し、楽しんでいたようにすら見える。居酒屋を経営するのも、市民運動に足を踏み入れるのも、若手文化人らを公邸に招くのも、印籠使いの一環だったのではないか。黄門だけど気さく、黄門だけど人がいい、黄門だけど庶民派。そんな逆印籠使いで、昭恵さんは自分のポジションをつくってきた。

 とはいえ、隣で農作業していた気さくなオバサンは実は気さくなオバサンではない、という印籠使いで、昭恵さんが得たものは何だったのか。それは結局自らを孤独にすることだったのではないか。黄門様には友だちがいないのだから。

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本当に仲が良かったと思うように