1954年4月、金屋町で生まれた。父は郵便局で働きながら、母とミカン畑も手がける兼業農家で、兄と妹の5人家族。家の周囲のミカン畑はいま、住んでいる兄が趣味の範囲でやっている。再訪したとき、ミカンが色づいていた。秋らしさを感じたが、初夏に花が咲くときが好きだ。白い五弁の花で、いい匂いが広がる。次は、そんな季節に帰ってきたい、と思った。

いつも追いかけた3学年上だった兄 「超えた」出来事も

 兄は3学年上で、やんちゃで父に叱られるのをみて、自分はおとなしく振る舞うようになる。その兄の後を、いつも追いかけていた。山へメジロやヒヨドリを捕りにいくのについていき、鳥屋城中学校での部活も昼は野球部、夕方から天文部と、兄と同じ道を歩む。でも、3年生で天文部の部長だったとき、「兄を超えた」出来事があった。

 再訪の日の朝、実家から兄の邦夫さんと一緒に、旧・鳥屋城中学校へ向かった。母校は統合で移り、いま小学校になっている。天文部は、伝統的に流星を観測した。近くに世界的に知られたアマチュア天文家がいて、その教え子の理科の教諭の指導を受けた。日が暮れると、10人ほどの部員がグラウンドに教室から運んだ机を並べて、空を眺める。山間だから空気がきれいで、観測しやすかった。

 流れ星が空のどこを通り、どのくらい流れたかを記録し、まとめたものを発表する。それが3年生のときの新聞社主催の学生科学賞で、全国1位となる。兄のときは3位。意識はしていなかったが、兄を追うのが終わったときかもしれない。

 78年に天理大学外国語学部(現・国際学部)のロシア語学科を卒業し、木材商社を経て、81年4月に大日本スクリーン製造(現・SCREENホールディングス)へ入社。主に海外営業畑を歩み、オランダと米国の子会社で社長や副社長を歴任。2014年に本社の社長、2019年に会長となった。

 昨年、中堅社員向けに「経営力伝承塾」を始めた。若いときからの経験を、率直に「こういうことをやってきた」「自分はこう考えた」と話す。飛鳥の里もそうだが、会社にも歴史があり、社員、客、取引先が一緒になって歩んできた。それを学んぶことは、将来につながる。先輩たちは中途採用で入った自分にもチャンスをくれ、いろいろと教えてくれた。それに対する感謝も、つないでいきたい。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年12月11日号

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