お金持ちは天井知らずだが、貧しさには底がない。ホームセンターなどに行けば、いかに暖房を使わずに部屋の中で暖かく過ごせるかというグッズが競うように売られている。中流層がごっそり消えてしまった日本で、今、極寒を生き抜くための電気代や灯油代が死活問題になっている。ガスも電気も水道も止められ、行き場を失う人々のニュースが珍しくなくなっている。親の世話に追われる子どもたちがいる。餓死者も、給食代を払えずに学校に行かなくなる子どもたちもいる。貧しさが人々の生存を脅かしている。
自民党の政治家の人たちが何億円も集めて一部を報告しなかったなどのニュースが流れていても、これが政治への信頼を根本から覆す大事件である! という勢いにはならない(ですよね……今のところ)。この事件が1980年代に起きていたとしたら、恐らく政治生命を絶たれ、逮捕をまぬがれない政治家が一人や二人では済まないレベルで問題になるのではないかとも想像する。
私は当時子どもだったが、それでも社会から感じる政治への怒り、政治への希望があり、政治がらみの事件で社会はその都度揺れていた。
今の日本では政治家の不祥事があっても、どこかで「またか」という気分と、「どうせ何も変わらない」という諦めと、何より「そんなことより、日々の生活に追われすぎてる」という焦燥と、「自分と自分の家族の幸福が守られていれば問題ない」という無関心で、うやむやになってしまうのを感じる。社会全体を底上げして、みんなで豊かになろう、みんなで幸福になっていこう、という希望が政治になくなってしまったのかもしれない。豊かになるのも、貧しくなるのも、全て自己責任だ。