同じ時期、やはり病床に伏していた正岡子規が、その売れ行きに嫉妬して『一年有半』への批判を新聞に立て続けに書いている。二人とも明治という時代を代表する奇人と言っていいだろう。兆民の死は1901年(明治34年)12月、享年54。子規は、その9ヶ月後、02年の9月に34歳で亡くなっている。どちらも最後まで筆を離さない壮絶な死だった。

 中江兆民は、坂本龍馬から幸徳秋水に連なる高知の大らかなリベラリストたちの系譜の中核に位置する。だが一方で、兆民が政治ではなく文学を志していれば、日本文学は別の発展の仕方をしていたかもしれないと考えるのは妄想に過ぎるだろうか。

 ちなみにこの時期、明治政府を支えた薩長土肥出身の作家はほとんどいなかった。詩人の大町桂月が唯一の例外だろうか。幕末雄藩の出身者たちは、優秀な人物なら皆政治や経済、あるいは軍人として出世できた。明治の文学は、旧幕臣や佐幕派の侍の師弟たちが支えていた。

暮らしとモノ班 for promotion
「Amazonブラックフライデー」週末にみんなは何買った?売れ筋から効率よくイイモノをチェックしよう