1847年に土佐で生まれ、幼少の頃に坂本龍馬に会ったという中江兆民。1871年にフランスに留学し、ルソーの『社会契約論』を漢文訳するなど、フランスの思想を広め、自由民権運動の理論的支柱となった。彼が書いた『三酔人経綸問答』について、平田オリザさんの『名著入門 日本近代文学50選』(朝日新書)から抜粋、再編集しその魅力を解説する。なお、『三酔人経綸問答』はNHKの番組「100分de名著」で、平田オリザさんを案内人に放送されている。
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政治の世界で際立った文学性
私は哲学を志して大学に入ったのだが、地道な研究や語学が苦手なこともあり、少し日和って近代日本社会思想史という分野を専攻した。明治の近代化と、それを支えた思想家たちが研究対象で、卒業論文の対象は中江兆民。卒論の表題は『日本ニ哲学ナシ』という青臭いものだった。これは兆民の最晩年の著作『一年有半』の一節からとっている。
中江兆民は喉頭癌で余命一年半と宣告されてから、随筆集『一年有半』を書き(1901年)、さらに「わが日本古より今にいたるまで哲学なし」と喝破して、本邦初の本格的な哲学書(となるはずの)『続一年有半』に挑んだ。だが残念ながら『続一年有半』は中江自身が希求したほどの学問としての厳密性からはほど遠く、一部破綻さえしている。余命幾ばくもない兆民に、それだけの仕事を期待するのは無理だったのかもしれない。