シスター・テレサは、1929年からインドのコルカタ(英語名カルカッタ)の聖マリア学院で地理と歴史を教えるようになり、1944年には同学院の校長となりました。1946年のある日、汽車での移動中に彼女が祈っていると、声が聞こえました。

「テレサ、すべてを捨てて、スラム街で苦しむ貧しい人たちのために仕えなさい」

 テレサはイエス・キリストが語りかけてきたと確信し、そのような体験があったことを報告しますが、当時の彼女は地方の無名なシスターにすぎなかったので、カトリック教会は、彼女の報告を重要視しませんでした。本人の錯覚や妄想というケースも当然あり、似たような事例は世界中で常に報告されているのです。それでも、テレサ自身にとっては、イエス・キリストから召し出されたという信念は揺らぎませんでした。

 シスター・テレサは教皇庁の許可を得て、1950年、困窮する人々を救済するための「神の愛の宣教者会」を設立し、貧しい人や住む場所のない人、病気の人、身寄りのない人たちへの献身的な世話を開始します。それはキリスト教の宣教から切り離した人助けの活動で、シスター・テレサは相手の信仰する宗教を常に尊重し、決して否定しませんでした。やがて、神の愛の宣教者会の活動はインド全体に広がり、カトリック教会は、類似団体をいくつも創設しました。彼女は「マザー・テレサ」と呼ばれ、その活動は全世界で報じられるようになりました。マザー・テレサはノーベル平和賞をはじめとする各国で最高に名誉ある賞を次々に与えられましたが、それらの授賞式の費用と賞金は、すべて恵まれない人の救済に使われました。マザー・テレサは、生涯、私物を持ちませんでした。また、人気が出すぎたことで本人の意思に反して「マザー・テレサ」がブランド化し、さまざまな権力者たちに政治利用されそうになったことも無数にありました。さらに、人間社会の常で、彼女の活動のアラ探しをして見当違いの批判をする層もいましたが、マザー・テレサの清廉潔白は、その言葉の力強さが証明しています。

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