ここで「サンタさんがくれたのね」とか「サンタさんに感謝しないと」と言ってしまうと、あとあと、「嘘つき!」と文句が倍加するかもしれません。幼い頃は、こう言ってもかまわないと思いますが、小学校高学年になってサンタを信じている場合は、親の言葉をちゃんと覚えていて、それが信念を支えることになるので、あとあと、反発が増える可能性があるからです。
もし、「サンタさんが実在する」方向でいろんなことをしゃべっていたら、過去の発言は水に流して、すっとぼけて下さい。「サンタさんに感謝しないと」と言っていたと言われたら、「そんなこと言ったかなあ。忘れちゃった」と政治家のように答えるのです。とにかく、サンタさんとは関係がない、という中立のスタンスを取り続けるのです。
そのうち、兄弟のネットワークで、兄が「おまえもさ、もう中学生になったんだから、いい加減、気付いたら?」なんて言うかもしれません。それもまた次男さんにとっては大切な「合理的思考のレッスン」です。
「そんなこと言っても、もし、次男が大人になるまで、サンタの存在を信じていたらどうしたらいいの?」と思いましたか?
そんなことは、この情報化社会の中でまずないと思いますが、もしそうなったらそれはそれでいいんじゃないかと僕は思います。
やがて、次男さんが大人になり、子供を持つ場合は、「合理的思考」に直面する時がくるでしょう。いつになっても、それは大切な思考のレッスンだと思っています。
また大きなことを言えば、世界がどんどん複雑になって、どんどん不寛容になって、どんどんハードになっていくと、「合理的な思考をするより、宗教的信念にしがみつく」という生き方を取る人が増えていくと僕は思っています。
だって、合理的思考は、自分自身を疑い、現実を見つめ、試行錯誤しますから、とてもしんどいのです。
でも、「宗教的信念にしがみつく」ことはとても楽です。頭は使いません。使うのは、情熱だけです。自分を疑わず、敵だと考える相手を疑うだけです。陰謀論は、その代表的なものですね。