「いてほしいと思うんだけど、いろいろと考えたら、どうもおかしいんだよね」と子供が言えば、「どんな所がおかしいの?」と聞きます。子供はサンタの矛盾点をいろいろと語るでしょう。それは、子供のネットワークで主張して反論されたことです。

 いろいろと聞いた後、「なるほど。いろいろとおかしいね」とさらに相槌をうち、「それで、今はどう思っているの?」と続けます。

「いないかもしれないと思う」と子供が答えれば、「私もそう思う」とうなづきます。

「じゃあ、今までのプレゼントは?」と子供が驚きながら聞けば、微笑みます。サンタの存在に疑問を持つほど自我が成長した子供なら、その微笑みですべてを理解してくれるはずです。

 それで「ふざけんなよー! だましたなー!」と怒る子供の場合は、「ごめんね。あなたの喜ぶ顔が見たくて」と素直に謝りましょう。それで、親子の仲が壊れるということはないと思います。

 もし、子供が「やっぱり、サンタさんはいると思うんだ」と答えたら、「そう。いるのね」と微笑みましょう。そこで訂正する必要はないと思います。

 やがて、間違いなく子供は、子供たちのネットワークやネット情報の海の中で、サンタの正体の言葉に出会いますから、その時に、また「自分の信念」と「合理的思考」の葛藤に放り込まれるはずです。

 僕は、それはじつに正しい「人間の成長する道」だと思っています。

 いきなり友達から「サンタなんていないんだよ!」と言われるより、じっくり考えて、不合理なことを見つめ、「待てよ。サンタさんだけがどうして魔法を使えるんだろう。もし、魔法が実在するなら、一晩で世界中の子供にプレゼントを配ることより、世界の戦争を一晩で終わらせる方が、魔法の使い道としては絶対にいいと思うなあ。それがなによりも、戦争で苦しんでいる子供たちへの素敵なプレゼントになるのになあ。サンタさんは、どうして、魔法をそのために使わないんだろう」と考え、やがて、「ひょっとして、サンタさんはいないのか……」と合理的な結論を受け入れるのは、とても大切な成長の道筋だと思っているのです。

 ですから、まみこさん。自分からは、次男さんの思いを肯定も否定もせず、微笑んでいるのがいいと僕は思います。今年もまたプレゼントを置き、「サンタさんがまたくれたよ!」と次男さんに言われたら、「そう。良かったわね」とだけ言うのです。

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