女房は毎日夜中の12時頃まで店にいて、娘も店を手伝ったりで苦労と迷惑をかけたなと思うが、一方でいろいろな人が来てくれたのもいい思い出になっている。

北の富士さん、マスカラス、ハンセンも来店

 北の富士さんが九重部屋の力士を引き連れてきてくれたり、ミル・マスカラス、スタン・ハンセン、長州力はじめ、プロレスラーもたくさん来てくれて、店にいたファンも喜んでくれた。まあ、マスカラスは素顔だったんで誰だかわからなかっただろうけど(笑)。

 ジャンボ鶴田が最後に連絡をくれたのもこの店だったんだ。俺の自宅の電話番号も携帯電話も知らなかったからね。ただ、そのとき俺は不在で最後にしゃべることは出来なかったけど、店があったからジャンボも連絡をすることができたんだよね。

 そのつながりが持てただけでもやっていた価値があったと思う。それに、ファンも天龍を含め、誰かに会えるかも知れないっていう楽しみもあっただろう。俺が店にいるときは女房がファンの人たちに「一緒に写真を撮りな」「サインももらいな」とすすめてファンサービスをした後、「で、次の試合も行くやろ?」とチケットを売るんだ(笑)。毎回、店だけで100枚、200枚とチケットを売っていたよ。

 今、定期的に大会を開催している天龍プロジェクトの代表は娘の紋奈で、気性は女房に似ているけど、経営は親父に似て下手なんだ。いろいろと苦労をしているよ……。

 しかし、なんでこの業界の奴らはみんなで協力し合って、全体を盛り上げようと思わないのかって、ことごとく感じるよ。

 俺が全日にいたときもそうだけど、試合ができる場とファイトマネーさえもらえればそれでいいやっていうのが透けて見えて、俺の気持ちも覚めていくこともある。なんでもっと一致団結して、チケットを売って、世間に自分たちのプロレスは素晴らしいって発信しないのかな。

 なんでももらいっぱなし。曲りなりにも「天龍のところでやっている」と言えば、少しは食いつきもあるだろうに。もっと天龍プロジェクトのリングに愛着を持ってくれてもいいと思うし、代表が女だてらに必死でやっているのを見て、お前らは何も感じないのか! と思うこともあるよ。

 もちろん、天プロやプロレスに愛着を持って激しいプロレスをやってくれている選手が大半だけど、一部の気の抜けたレスラーたちに敢えて言いたい。お前らのプロレスに対する甘く、鈍った感性を、刀をポンポンするアレ、アレでしっかり磨いておけ! で、アレはなんて呼ぶんだ? 「打ち粉」って言うの? へぇ~。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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