田中社長ほど、プロレスのことを、選手のことを思ってくれたオーナーはいない。俺はプロレスを世に知らしめようとして奮闘してくれた田中社長には感謝している。

 大会の会場設営のとき、選手がなにもやらないなか、田中社長と奥さんがせっせとイスに座席番号の札を貼っているのを見たとき「なんてすごい会社なんだ!」と思ったことを今でもよく覚えている。本当にすばらしい社長と奥さんだったと思う。ここで改めて謝意を伝えることができて本当によかった。

寿司屋の経営は苦労の連続

 WARの活動休止と前後してオープンしたのが「鮨處しま田」だ。この店の経営も女房が中心にやっていたんだけど、こっちも苦労の連続だったよ。

 最初は回転寿司にするつもりだったんだけど、よく遊んでいた銀座の「鮨処おざわ」の親方が「天龍源一郎が回転寿司なんてダメだ!」と言い出して、檜の一枚板のカウンターが2本もある店になって、業者も小沢の口利きだからビシっとしなきゃって、いいものをふんだんに使って、内装に1000万円もかかってしまった。その時点で女房はマズイと思ったらしい。

 オープン当初こそ、近所の人やファンが来てくれて「おお、引退してもこっちで食っていけるな」と思ったんだけど、あっという間に持ち出しになってしまった。職人も7人くらい雇っていたけど、こっちもプロレスラーと同じくらいやっかいなんだ。

 ある程度給料をもらっている職人じゃないと仕事はできないし、職人の中にも上下関係や嫉妬、意地の張り合いなんかもあって、同じ店で働いているのに批判や文句は絶えなかったね。

 トップに親方の職人がいて、下が弟子だと右習えで統率がとれるんだろうけど、「鮨処しま田」のトップは女房だし、職人に「じゃあお前が握れよ」「俺たちは知らねえよ」なんて言われたら店も回らないから、下手に出るしかない。はっきり言って、雲助みたいな奴らばかりだったよ。

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