天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍さん。先日、ようやく退院を果たし、11月19日には後楽園ホールのリングにも上がった天龍さん。今回は自身もプロレス団体や寿司店などで関わった「経営」について語ってもらいました。

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 テーマは経営か。経営の話をするのは難しいな……。俺が経営に携わっていたのは「WAR」「鮨処しま田」「天龍プロジェクト」だが、WARは女房が経理をしっかりやってくれたからなんとかやっていけた。

 とはいえ、立ち上げ当初は女房もプロレスの世界の経理のことなんてまったくわからなかったから、ザ・グレート・カブキさんにいろいろ教わっていたよ。カブキさんはいろいろな団体でマッチメークもやっていたから、何もわからない女房に丁寧に教えてくれた。

 俺はおおざっぱだから経理はできないけど、営業はかなりこなしたという自負はあるし、トップとして団体の方向性も決めなければならない。

「天龍がやっているWARは優れたプロレスであるべき」「いい加減だ、面白くないと言わせたくない」「妥協はしない」という気持ちがめちゃくちゃ強く、選手にも「いい加減なことはやるな!」と常に発破をかけていた。全日本プロレス時代の天龍革命のときのような気持ちだったよ。

 WARの経営面で大切にしたのは選手の“月給制”だ。俺が全日にいるときは給料がシリーズごとの支払いで、年に6~8回。これだと家計のやりくりや生活設計が大変だと女房が言ってね。

月給制にして現金を手渡し

 それでSWSのときにいっとき月給制だったこともあって、WARも月給制にしたんだ。毎月、月末になったら事務所に選手全員集めてピン札を揃えて、一人ずつ現金で手渡しだ。この現ナマ、ピン札、手渡しも女房のアイデア。

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もらった給料を持って居酒屋へ直行!