38年ぶり日本一を達成した岡田阪神。日本シリーズではノイジーが2本塁打を放つなどの活躍で優秀選手賞を受賞し、改めて打線における助っ人の重要性を認識させられた。だが、過去には助っ人に頼らない純国産打線で栄光を手にしたチームもある。
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1960年代以降、多くの球団が外国人選手を主砲に据えるなか、史上最強の純国産打線を形成したのが、V9時代の巨人だ。
球団創設以来、日系のハワイ出身選手を除き、長い間、純血路線を貫いていた巨人は、V9時代においても、ONを中心に上位下位切れ目のない“助っ人要らず”の強力打線が売りだった。V4を達成した1968年のオーダーを見てみよう。
1番レフト・高田繁(.301、9本塁打、30打点)、2番セカンド・土井正三(.293、3本塁打、47打点)、3番ファースト・王貞治(.326、49本塁打、119打点)、4番サード・長嶋茂雄(.318、39本塁打、125打点)、5番センター・柴田勲(.258、26本塁打、86打点)、6番ライト・国松彰(.256、12本塁打、58打点)、7番捕手・森昌彦(.228、11本塁打、46打点)、8番ショート・黒江透修(.284、7本塁打、37打点)。9番を打つ投手も、一発長打のある堀内恒夫、金田正一がいて気が抜けず、代打陣も充実していた。
その巨人も、長嶋が現役引退し、新監督に就任した75年は、長年の禁を破り、“ポスト長嶋”として現役メジャーリーガーのジョンソンを入団させている。以来、現在に至るまで助っ人を補強しつづけているのは、ご存じのとおりだ。
けっして強力打線とは呼べなかったものの、純国産打線でリーグ優勝をはたしたのが、86年の広島だ。広島も巨人同様、長く純血路線を続けてきたが、72年に“解禁”され、75年の初優勝時にはシェーン、ホプキンスの両助っ人が活躍した。
だが、古葉竹識監督最終年の85年、広島は投手も含めて外国人ゼロの純血路線を復活させ、阿南準郎監督に替わった翌86年は、巨人との熾烈な争いを制して2年ぶりのリーグVを達成した。同年は次のようなオーダーだった。