柳田悠岐

 近藤、柳田、山川、ウォーカーと強打者がそろった打線は迫力十分だが、長距離砲をそろえた打線でチーム力が大きく上がったケースが少ない。その象徴がかつての巨人だった。93年オフに中日から落合博満、94年オフにヤクルトの広沢克己、ハウエルを獲得。96年オフに西武の清原和博、近鉄の石井浩郎、98年オフに西武のドミンゴ・マルティネス、99年オフに広島の江藤智と他球団の4番が次々と加入した。長嶋茂雄元監督の下で常勝軍団誕生の期待が高まったが、94~01年の8年間で優勝は3度。長打力が持ち味の選手たちをそろえた結果、守備力と機動力が低下して接戦に弱い。将来を嘱望された若手たちは出場機会が失われるため伸び悩み、補強に依存するチーム作りになってしまった。

42歳のベテラン・和田毅

 堀内恒夫元監督が指揮を振るった04年も、ホームランアーティストを集めた強烈な打線だった。タフィー・ローズが45本塁打、小久保裕紀が41本塁打、阿部慎之助が33本塁打、高橋由伸が30本塁打、ロベルト・ペタジーニが29本塁打、仁志敏久が28本塁打、清原が40試合出場で12本塁打と計259本塁打の日本記録を樹立。球団史上最多の738得点を叩き出したが、首位・中日に8ゲーム差を離されて3位に終わる。翌05年もリーグトップの186本塁打をマークしたが、1発頼みの打線で617得点はリーグ5位。球団史上初の80敗を喫し、5位に低迷した。

「確かに04年の打線は凄かったが、チーム盗塁数はリーグワーストの25盗塁で機動力がないため好投手からなかなか点が取れなかった。リーグ5位の677失点で投手陣が弱かったのも原因です。打線に全振りした陣容だったので、外野の守備で脆さが目立った。外部補強に頼ったからなのか因果関係は分かりませんが、チームに一体感を感じられなかったですね」(当時の巨人番記者)

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?
次のページ
リスクは戦力面だけではない