高体連から初めてJクラブの監督へ転身した布啓一郎氏

 今季のJ2リーグ戦は最終節を残すのみとなったが、すでにFC町田ゼルビアが初優勝&初のJ1昇格を決めている。この“悲願達成”にチームを導いた指揮官が、元青森山田高校サッカー部監督の黒田剛だった。プロではない高体連からの異例の監督就任に、当初は否定的な意見も多かったが、見事な「結果」で周囲を納得させたことになる。そしてサッカー界には、異色の経歴を持つ監督が他にもいる。

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 高体連サッカー部の監督からJクラブの監督へ転身した初めての人物は、布啓一郎だった。布監督といえば市立船橋高校だ。千葉東高校から日体大を経て1983年に市立船橋高校に赴任、翌1984年から監督となり、チームをインターハイ4度、選手権4度の全国優勝に導いた。そして2001年にJリーグの監督就任に必要なS級ライセンスを取得。U-16、U-19日本代表監督を歴任した後、2018年からザスパクサツ群馬(J3)、松本山雅(J2)、今治FC(J3)とプロチームの監督を務めた。だが、いずれも2年以内の短期政権に終わっており、高校サッカー界で名将と呼ばれた名声を高めることはできていない。それでも市立船橋高校時代の教え子には、鬼木達(J1川崎)、秋葉忠宏(J2清水)の魅力的な現役監督を筆頭に、北嶋秀朗、羽田憲司、小川佳純、増嶋竜也と引退後に指導者の道に進んでいる面々も多い。

 現在、アルビレックス新潟シンガポールの監督を務める吉永一明の経歴は、実に複雑だ。福岡大学卒業後に三菱養和、アビスパ福岡、清水エスパルス、サガン鳥栖で育成年代のコーチを経験した後、2009年に山梨学院高校サッカー部のヘッドコーチ(実質的に監督だった)となり、同年冬の選手権で全国制覇。翌2010年から2015年まで監督を務めて前田大然や渡辺剛らを育てた。その後、ヴァンフォーレ甲府のコーチ、新潟シンガポールの監督を務めた後、2019年のシーズン開幕直後の4月からJ2のアルビレックス新潟の監督をシーズン終了まで務めた(結果はJ2で10位)。現在55歳。シンガポールでは今季も含めて監督を務めた全4年間でリーグ優勝を果たしており、ユース、高体連、Jリーグ、海外と、これほど多彩なステージで監督を務めている者はいない。

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“独自”の道を歩み海外で監督となった日本人も