ヤマザキさんはのりやはさみなど必要な物を選んで示し、お道具箱に入れてくるようソフィアさんに伝えた。担任にも引き合わせた。一年生の担任を務めるベテラン教員は移民家庭への理解があり、保護者に配るお便りの漢字にはすべてルビをふるような人だったという。
長男は四月九日から毎日登校し、クラスメイトとも仲良く遊んでいる様子だった。十二日と十三日は遅刻が続き、教務主任が家庭訪問をしていた。
そして十五日の早朝、事件があった。
ヤマザキさんには教員を退職した今も、「あの時、何かできんかったんか」という悔いが残る。
南小があるのは大阪市中央区の東心斎橋。繁華街ミナミのど真ん中だ。土地柄、児童数は百数十人という小規模校だが、移民のルーツをもつ児童が半数ほどを占める。
ヤマザキさんは事件のあった四月、南小に着任したばかりだった。彼の目には、教員たちが疲れ果てて見えたという。
教育委員会からは全国学力テストの平均点を上げるよう求められるが、学校には日本語が十分に習得できていない子も多い。深夜まで飲食店で働く親が多く、子の遅刻や欠席が続く。保護者に協力を求めようにも、日本語をほとんど話せない親もいる。経済的に貧しく、学用品をそろえるのに苦労する家庭も多い。