教員たちは「この子たちを何とかしたい」という思いを強くもっていた。そして、思いが強い教員ほど、結果につながらないことに疲れ果てていた。

 無理心中事件は、そうして積み重なった課題の、取り返しのつかない帰結だったのだろう。ヤマザキさんは「家庭が抱えてる大きな課題をそのままにして、教職員がため込んでいる思いをそのままにして、この学校が良くなっていけるとは思えない」と感じていた。

「とにかく、思ってることをいっぺん全部出してみいへんか」

 ヤマザキさんはそう呼びかけ、学校の教職員二十数人を集めた話し合いの場をくり返しもった。おのおのが自分の考えをふせんに書き、大きな模造紙に貼っていく方法で、思いの丈をはき出した。

 ある教員からは「保護者が宿題をみてくれない」という意見が出た。それに対して、別の教員からは「子どもが帰ったころに保護者が出勤してしまうから、なかなか難しいんやろう」という声が上がる。「クラスに日本語を十分に話せない児童が多すぎる」という声が上がれば、「なんとか学校独自で、日本語指導の担当者を増やしていかんとあかんよな」という意見が出た。

 それぞれが漠然と抱えていた負担感を共有することで、これまでになかった視点からの気付きが生まれた。

 子どもの学習面の課題はなんとか学校内で対応ができる。残るのは生活面の課題だった。特に経済的に苦しい移民の家庭を、学校だけで支えていくことは難しい。

 ヤマザキさんは学校の外での支えを求めて、動き始めた。
 

暮らしとモノ班 for promotion
「Amazonブラックフライデー」のみんなの購入品は?先行セールで売れた商品をチェック!