私は当時、朝日新聞の大阪社会部で事件担当の記者になったばかりだった。先輩記者から「子ども一人が亡くなって、一人が重傷の殺人容疑事件が起きた」と一報を受け、島之内の現場へ急行した。
警察の規制線が張られたマンションの周辺で、聞き込みをいくらかしただろうか。正直言って、ほとんど記憶がない。同僚による大阪府警への取材で事件の状況が少しずつわかり、「どうやら無理心中のようだ」という連絡が入ったからだ。
新聞紙上では、家庭内で起きた事件、特に自殺や心中は「社会性が小さい」と判断され、掲載を見送ったり、小さく扱ったりすることが多かった。この時の私たちも、そんな判断に基づいて取材態勢を縮小し、まもなく私は別の事件現場へ「転戦」した。
今ふり返れば情けないことだが、無理心中の背景に思いを巡らすことはなかった。事件については、先輩記者が翌日の朝刊に短い記事を出した。次から次へと起きる新たな事件に流され、私がその後、この事件について思い出すことはなかった。
大阪府警は翌五月、けがの回復を待ってソフィアさんを殺人容疑で逮捕した。
しかし、大阪地検はその秋、精神鑑定の結果をふまえて、ソフィアさんを不起訴処分とした。善悪が判断できない「心神喪失状態」だったため刑事責任を問えない、という結論だった。