ユウ(仮名)という子は、教室に来ても全く勉強に向かおうとはせず、すぐに机の下に潜り込んだ。ボランティアが話しかけても応じず、私の問いかけもよく黙殺された。それでもユウは毎週、教室にやって来た。
移民であるユウの母親は不安定な職に就き、一人で子どもを育てていた。その暮らし向きのしんどさは、ユウが自身のルーツを否定する気持ちにつながり、目の前の学習や生活を大切にできない心性につながっているようだった。
ユウはその後、事情があって母親とは一緒に暮らせなくなった。児童相談所の一時保護を経て、里親のもとで暮らすようになった。
生活がすっかり変わってしまったその間も、教室のスタッフらはユウとつながり続けた。それですべての問題が解決したなんてことは決してない。それでも、ままならない生活と自分の将来に悩みながら生きるユウのそばに、ずっと教室があって、今もある。
ユウの大人ぶった物言いも、落ち込む友達にそっと寄り添う優しさも、場を明るく照らす笑顔も、不安を周りに悟らせまいと努める気遣いも、長い間見続けてきた人たちがいる。
それぞれに事情は違えども、ユウのようにしんどさを抱える子どもたちが、教室には集まってくる。そして、大人たちの隣に座る。
子どもたちの親とも、教室からの帰り道やイベントで顔見知りになる機会がある。ひとり親、特にシングルマザーの家庭が多い。それぞれが歴史や政策の大きな流れに翻弄されながら、家族にとって少しでもよい人生を選び取ろうと、ミナミで働き、子を育てながら生きていた。
そんな移民の子どもたち、親たちと接するなかで、ボランティアの大人たちも多くを学び、生き方を変えていった。
私もその一人だ。