将棋界でタイトルが八つになってから、初めて全冠制覇した藤井聡太八冠。過去にはタイトル独占が何回か達成されてきた。七冠独占を成し遂げた日本将棋連盟会長の羽生善治九段を紹介する。AERA 2023年10月23日号より。
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1983年度から王座戦が優勝棋戦からタイトル戦に昇格して七大タイトル戦となった。タイトルだけでなく有力棋士も増えて、七つのタイトルを7人で持ち合う状況も生じた。全冠独占はもう起きない、と思われた。
ところが、羽生善治が猛烈な勢いでタイトルを取り始めた。94年末に史上初の六冠王(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)となり、残る一つの王将にも挑戦する。当時の王将保持者は谷川浩司。谷川も92年2月に四冠王(竜王・棋聖・王位・王将)になったが、羽生があっという間に勢力図を塗り替えた。
95年1月に第44期王将戦七番勝負が始まった。第1局の数日後に神戸在住の谷川は、阪神・淡路大震災で被災してしまう。避難生活を送りながら、七冠阻止だけでなく神戸代表として谷川は奮戦。七番勝負はフルセットとなり、第7局は千日手(引き分け)の末に谷川が制した。
羽生の七冠再挑戦
羽生が七冠に再挑戦するには、六つのタイトルをすべて防衛して、王将戦の挑戦者になる必要がある。タイトルの防衛は、常に勢いある挑戦者が向かってくるので大変だ。中原誠はタイトルを減らして六冠に再挑戦できなかった。羽生ものちに「王将戦で負けた時には、もう2~3年はそんなチャンスは巡ってこない」と思ったことを綴っている。
だが、恐るべきことに羽生は難条件をクリアした。95年度の羽生の勝率は、タイトル戦を戦いながら8割を超えていた。前年以上の勢いで挑まれて、谷川は抗しきれない。
第45期王将戦七番勝負は、当時25歳の羽生が4連勝して王将獲得、七冠独占を果たした。タイトルを失った谷川は「せっかく注目してもらっていたのに、ファンの皆さんに申し訳ないですし、羽生さんにも申し訳なかった」と話した。
NHK衛星放送で解説を務めた森下卓八段(現九段)は、「私は選手ですから屈辱以外の何ものでもありません」とコメントしている。史上初の快挙を同業者は複雑な思いで見ていた。