寺尾紗穂(てらお・さほ)/1981年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。シンガー・ソングライター、文筆家。著書に『原発労働者』『あのころのパラオをさがして』『彗星の孤独』など。2021年に自身のレーベル「こほろぎ舎」を設立(撮影/写真映像部・上田泰世)
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 AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

『日本人が移民だったころ』はパラオからの引き揚げ者たちの、戦前から戦後の経験を聞き書きし、個人の生き様を丁寧に見つめたルポルタージュ。著者・寺尾紗穂さん自身の感覚を大切にし、取材のいきさつや旅の情景などを織り込んで「ノンフィクション・エッセイのような形」でつづる。緻密な調査のもと、歴史の裏に埋もれている声をすくい取ろうとする著者の目線を通して「移民」を多角的に捉え、新しい地図を描くように読める本。寺尾さんに同書にかける思いを聞いた。

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「南洋」をテーマに聞き書きの旅をしている寺尾紗穂さん(41)。大学生の頃、中島敦の作品を読んで、かつての南洋群島に興味を持って以来ずっと、その旅は続いている。

「気になることを調べるのは好きですが、自分でもこんなに続くとは思っていなかったです」とほほ笑んで続ける。

「それだけトピックが詰まっているということ。植民地、移民、戦後移民とどれもあまり南洋についてはフォーカスされなかったところ。もっと掘り起こして、私たちが改めて共有しないといけない歴史がたくさんあると思います」

『南洋と私』『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』に続く本作では、パラオからの引き揚げ者の戦後のありようを知ろうと沖縄、札幌、種子島、我孫子、埼玉、パラグアイへ渡った。

〈学校で習う右肩あがりの戦後イメージの陰に、知られざる戦後が本当はたくさんあったのだ〉

 日本はかつて国策として海外移民を推奨する「移民送り出し国」だった。ダイナミックに移動し、生きてきたその移民の歴史は戦後も続いた。今作のタイトルを『日本人が移民だったころ』とつけた背景を、入管法改正などをめぐる言説に触れてこう話す。

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