「怒りのメール」は、そんな現場の実情を伝え、ユーザーの多くが選ぶオプションは本体の基本機能に付ければいい、他の個別のオプションも工場で出荷前に付ける仕組みにすればいい、と迫る内容だった。本社の複写機事業の責任者は「いままでやってきたことが、なぜできないのか」と不愉快げに言った。ここで、『源流』が湧き出す。

「従来通りにやれ、という規則でもあるのですか。デジタルという大きく変革する時代に入ったのに、サービスマンたちの仕事の仕方は変えなくていいと言うのですか」

 従来通りに、の否定。言い換えれば、旧来の企業文化で変えるべきことは変えていこう、との宣言だ。山下良則さんがビジネスパーソンとしての『源流』に挙げる出来事だ。キーワードは「本音を言わせる力」。

 1年半後、複写機事業の責任者が出してきた新機種は、ファクスをはじめ多くの機能がオプションでなく、本体に備えた機能になっていた。「怒りのメール」がきちんと受け止められたと知ったとき、禅道場で抱いた「一流の人間とは?」への答えがみえてきた。

 1957年8月、兵庫県加西市で生まれる。父は太平洋戦争に召集されてフィリピン海戦に遭遇したが、帰国して結婚し、農協に勤めた。両親と姉、兄の5人家族。小中学校へ山を越えて通い、途中は田畑ばかり。40分近く歩いた。県立北条高校には自転車で、同じくらい時間をかけて通学する。そんな少年時代が足腰を鍛えてくれ、野球などスポーツが得意だ。

 北条高校で理科系のクラスを選んだが、大学受験の1年前に「自分は理科系の研究者に向いていないのでは」と思い始め、理科系のなかでも文科系に近いと思う経営工学科に目をつける。授業料が安い国立大学で東京工業大学、広島大学、名古屋工業大学だけにあった学科で、比較的近い広島大学を選ぶ。

 80年4月に入社。新人研修で静岡県沼津市の工場へいき、トナーをつくり、コピー用紙を出荷した。第2次石油危機後で紙の価格が高騰するなか、複写機工業会の会長をしていたリコー出身者が「リコーは紙の値段を据え置く」と言って一気に受注が増え、休日も出勤した。

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