今ドキの若い女子が仏像をアイドルみたいに「ステキ」とか言ってる「仏像ブーム」を私は嘆いているが、その嚆矢は白洲正子の『十一面観音巡礼』ではないか。十一面観音てところがミソで、だいたいどんな十一面観音でもスッとして美形でかつ異形の超人ぽいのである。食いつきやすいのである。これが『阿弥陀如来列伝』とかであったら、白洲人気も仏像人気もこうはいかなかったであろう。
この『「美術的に正しい」仏像の見方』は、表紙がまず「蟹満寺(かにまんじ)の釈迦如来坐像」であり、文中でも「見るべき仏像」とされている。でも表紙で見てもらうとわかるように一見ブルドッグみたいな、江夏豊みたいな、スゴイけれどもとっつきはよくないご面相。でもこの本の中で「15歳から仏像好きで今では仏像専門の大学の先生」という著者の友人が「いちばん好きな仏像」として挙げるだけあって、たくさんの仏像を見続けると「これこそが素晴らしい仏さま」ということが、するっと納得できる。甘ったるくないが難解でもなく、国宝だがお高くとまっていない。「かたちのバランスが整っていて、線も鋭く、しかもダイナミックに波打って、細部にも重厚感がある」と著者は書く。木津川市の小さな寺院にある仏像で、それを表紙に持ってきたところに見識を感じる。
仏像初心者には、わかりやすい仏像の特徴から、その仏像には仏教的にどんな意味があり、かつ美術史的にどんな意味があるかを説明してくれるので、仏像を好きになることの意義みたいなのが増して、ますます仏像好きに邁進できる。私のようなすれっからしの仏像ファン、観音とか甘いこと言ってんじゃないよというような人間にも、そうだそうだ、こういう仏像をきちんと見ることが仏像ファンの本道だ、と満足を得る。すれっからしのそんな押し殺した気持ちを「解放していいんだよ」とも言ってくれる。すべての仏像ファンにとって、やさしい本です。
※週刊朝日 2015年6月5日号