母親の正子は上田が脚本を書けずに苦しむ姿を見てきた。両手で背中をさすってやると、安心するのか、その間だけ筆が進む。明け方まで3時間、4時間とさすることもあった。いつしか、その役は劇団メンバーに代わり、執筆中は交代で誰かが上田を見守り、背中をさすった。
脳にかかる負荷を減らし ストレスなく見られる舞台
最大の危機は2010年の第29回公演「サーフィンUSB」のときだった。本番が1週間後に迫る中、まったく書けなくなってしまったのだ。初めて東京・下北沢の本多劇場で公演することになり、既にチケットが売れていた。WOWOWの舞台中継も決まっていて、後には引けない状況だった。
上田は、出来上がった舞台セットが自分の想定とズレていて、これでは考えてきたストーリーが実現できないと苦しんでいた。メンバーは上田を休ませ、それまでにやったエチュードからセリフを抽出して、何とか脚本の形に整えた。諏訪はこう振り返る。
「幕が開いて、上田くんに感想をきくと、『あの場面はやめてほしかった』と落ち込んでいた。僕らが適当につなげて作ったことで、さらに彼を傷つけてしまったんです」
ところが、翌年の第30回公演「ロベルトの操縦」で上田は生まれ変わる。一つの企画を中心にストーリーを作る方法を自分で発見したからだ。例えば、魔窟を舞台にした「魔窟コメディー」、巨大迷路で起きる出来事を描く「迷路コメディー」のように、「企画をお弁当箱の真ん中に置き、他の具材が入りにくかったとしても、その企画を優先させる」という考え方で書くようになった。諏訪は笑いながらこう話す。
「このやり方なら何本でも書けると、急にキャラが変わって頼もしいことを言い出した。そこまではすり減っていく感じだったけど、そこからは止まらなくなりました」
そして16年、大阪・新世界の串カツ屋にドローンが飛ぶ近未来を描いた「来てけつかるべき新世界」が、「演劇界の芥川賞」とも言われる岸田國士戯曲賞を受賞する。時代性、批評性のあるコメディーとして高く評価された。コメディーの受賞は珍しく、上田は、これでようやく一人前と認めてもらえたような気がしたという。
(文中敬称略)(文・仲宇佐ゆり)
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