プレッシャーがふくらみ ついに文字が書けなくなる
演劇が自分の生きる道だと思った上田は、在学中に諏訪に誘われヨーロッパ企画を立ち上げる。SFが好きだから第1作はSFコメディー。2作目からは群像劇になった。その後は毎回、舞台に高低差を作る、旅の要素を入れる、といった新しいことに挑戦していく。しかも、新作は前作までの要素をすべて足し算していく方式をとっている。
「行き当たりばったりに作るより、毎回その原理をつかみ、次に生かしたいんです。だから、これという法則を見つけたら、やり続ける」
2001年の第8回本公演「サマータイムマシン・ブルース」では、それまで200人程度だった観客が800人に増え、京都に加えて東京でも公演できるようになった。大きな手応えに「これなら行ける」とみんなで喜んだ。
映画監督、脚本家、俳優で劇団ゴジゲンを主宰する松居大悟(37)は、上田のことを人生を変えてくれた師匠だと慕う。初めてヨーロッパ企画の公演を見たのは2005年、東京・下北沢の駅前劇場が揺れるかと思うくらいウケていた。
「それまで見てきた演劇と違って、役者が大きな声を出すわけでもなく、半笑いで友だちと話すようなことをしゃべっている。それが衝撃で、こんなに面白いことを演劇でやれるなら、自分も作・演出をしてみたいと思ったんです」
一時期、文芸助手としてヨーロッパ企画に参加し、上田の仕事を間近に見た松居は、そのストイックさにうたれた。既に十分面白いストーリーができているのに、物語の根幹やテーマを疑い続け、本番が1週間後に迫っていても台本を全部捨ててしまう。
「間に合う、間に合わないじゃなくて、これなら行けるという正解が高くて狭くてご本人にしか見えていない。ゼロからイチを生み出す瞬間を本当に大切に作っている。アーティストなんだなと思いました。それを理解して付き合う劇団員もすてきで、すごい集団だと思います」
劇団は順調に成長しているように見えたが、創作の道はそう甘くはなかった。注目されるにつれて会場が小劇場から中規模の劇場になり、2009年には観客数が1万人を超えた。上田にかかるプレッシャーも大きくなる一方だった。ついには追い詰められて文字が書けなくなった。うつぶせに寝転んだまま、つぶやくセリフをメンバーが口述筆記したこともある。