サークルの部室にタイムマシンが現れる「サマータイムマシン・ブルース」、土の巨人とテレビクルーが出会う「あんなに優しかったゴーレム」など、これまでに41作を上演し、この9月からはロンドンを舞台にしたミステリー・コメディー「切り裂かないけど攫いはするジャック」が全国10カ所を回るツアーを行っている。
上田が作る舞台は、笑いにSFやファンタジーを組み合わせた温かな世界だ。マッチョなヒーローが活躍するような話は一つもなく、みんなで右往左往するおかしみを描いた群像劇が多い。
「群像のほうが間抜けで馬鹿馬鹿(ばかばか)しいことができる。みんなでおかしな状態の中にいて、一生懸命何かしているんだけど、外から見ると面白いという、滑稽で愛すべき状態が好きなんです」
この「みんなが一緒に何かすること」を上田は何より大事にしている。劇中でも現実でもそこは変わらない。それには上田の子ども時代が関係している。
両親は京都・二条城のすぐ近くで、ラスクやクッキーを製造する菓子工場を営んでいた。上田は戦隊ものや格闘漫画には興味がなく、マリオ、ドラえもん、シルバニアファミリーのような、「やわらかくて筋肉がなさそうなキャラクター」が好きな子どもだった。
一人っ子だから、学校から帰ると工場の2階で一人で過ごすことになる。根がさびしがりやの上田は、家に友だちに来てもらいたくて、おもちゃを買ってもらうときは多人数でできるボードゲームを選び、みんなで遊ぶ時間が大好きだった。
小さい頃からもの作りに熱中し、小学生の時はワープロで作った豆本を10円で売り、中学時代にはバレーボール部の部室を舞台に「中京バレー部殺人事件」を書いた。ギターで作曲もした。しかし、どれも友だちにはウケない。ファミコンにはまり、プログラミングを独学でマスターして、苦労して泣きながらゲームを作ったものの、誰も遊んでくれなかった。作るものが面白くないと人は離れていくのだと悟った。
演劇に出合ったのは高校2年生の時だ。友人から文化祭のクラス劇を作るように頼まれた。脚本なんて書いたことがなかったが、見よう見まねで仕上げると、みんなが参加してくれて楽しいうえに、観客も喜んでくれた。
「これ、めっちゃいい! 二度と一人作業には戻りたくないと思いました」
上田は情報工学が学べる同志社大学の工学部に進み、同志社小劇場に入る。先輩の諏訪が出演した公演を高校生のときに見ていて、同志社に行くならここに入ろうと決めていた。