「そこの切り替えが必要で、ワンクッションできてしまう分、いま短歌がSNSで広がっているほどには俳句は広がっていないのかもしれないですね」

 前出のお由美さんもこう言う。

「俳句と短歌は同じ定型詩ながらまったくの別物。俳句は短い言葉で読んだ人に『投げかける』感じ。そこが私には難しい」

俳句は視線をマクロに

 とはいえ俳句には短歌にはない魅力があると神野さんは言う。

「短歌がどこまでも『私』を軸に広がっていくものだとしたら、俳句は『私なんてなくてもいい文学』なんです」

 たとえば、私がどんなふうに考えている人間かは、向日葵(ひまわり)や太陽、山や川には関係ないこと。人間の理屈から少し離れて、視線をミクロからマクロに切り替えてみて、深呼吸できる。「私」や「人間」というものから自由になれる。俳句以外になかなかないのではと、神野さんは言う。

「他の文学は良くも悪くも人間を軸にしています。短歌もそうです。だからこそ散文を読む文脈で、いろんな文学を読む感覚で短歌は読める。でも逆に言えば、そういった文学の中にはない広々とした自由が、俳句にはあると私は思っています」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2023年10月2日号

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小長光哲郎

小長光哲郎

ライター/AERA編集部 1966年、福岡県北九州市生まれ。月刊誌などの編集者を経て、2019年よりAERA編集部

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