SNSと短歌に親和性があると話す野口さん。「短歌は気持ちを、俳句は情景を乗せやすい。Xには気持ちの方を乗せたいから短歌がブームなのでは」(撮影/写真映像部・佐藤創紀)

 前出の高柳さんは、今年の「俳句甲子園」で最優秀句に選ばれた「月涼し伽藍(がらん)に蟹の道のある」にも、あらためて「短歌と俳句では目指す方向がまったく違う」と感じたと言う。

「一つの芸術作品として完成させるために我が道を行く、という俳句の姿勢は、若い世代の俳句でもそうなのか、と。対して短歌は、『他人に対する共感』を意識して作られるもの。自分の思いをどうやって三十一文字で人に伝えるかが常に意識され、そこには他者に対する思いやりもある。だからこそ、『いいね』という共感機能を持つSNSが、短歌には合ったのだと思います」

短歌は口語俳句は文語

 では俳句界の目には、短歌ブームはどう映っているのだろうか。俳句甲子園で審査員長も務める俳人の神野紗希さん(40)は、「(俳句側として)責任重大ですね」と笑いつつ、「なぜ俳句ではなく短歌か」に理由があるとしたら、まずは「口語か、文語か」という点ではと推察する。

「短歌は俵万智さんの『サラダ記念日』(87年)の頃から、口語、つまり私たちが使っている言葉で短歌を作ることが定着してきました。一方で俳句は若い作者も含めていまだに95%は文語でしょうか。文語が読めない人には届かないというハードルは一つありますね」

 もう一つは、最後の「七七があるか、ないか」。あれば出来事と思いと両方言えるが、俳句だとどちらかしか言えない。たいていは出来事の方だけを言い、思いの方は読者に汲み取ってもらうことになる。

「読者にかなり積極的に参加してもらうコミュニケーションが必要なことが多い。読むために必要な知識やリテラシーがなくても受け取りやすいのは、短歌の方だろうなとは思います」

 その上で、「その点こそが、俳句のいいところ」とも話す。

「短歌は感情を共有するけど、俳句は感覚を共有する、というところがあると思います。作者としての想像力を読んでいる人が働かせるのが俳句なのかなと」

 積極的に言葉からイメージを引き出したり、感覚を受け取ったりできるのは、本来はとても面白いこと。ただ、普通の散文を読むときのように「自動的に全部情報が出てくる」と思って俳句を読んでしまうと「何言ってるんだ?」となることも。

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