「もしかすると、自分も……」
日常生活の中で自然に”死”というものと向き合うようになるなかで、言葉にできない不安を感じたが、両親や友人にはなかなか言えなかった。
ただ、竹中さんの父は、病気で伏せっているばかりではなく、むしろ活動的な人だったらしい。その際たるエピソードは、竹中さんが小5の時に個人塾を開いた、というものだろう。
「小学校4年生の時に学習塾に入ったのですが、そこでトップを取り続けて、飛び級で一番上のクラスまで上がったんです。その結果、それまで僕に勉強を教えていた父が『自分には教える才能がある!』という勘違いをしてしまって(笑)」
父の教育熱が一気に高まった結果、竹中さんは友達と遊ぶことを禁じられ、モチベーションが低下。学力も低下し始めた。また当時は、竹中さんの勉強のことで、父と祖父が対立することもしばしばだった。小6の時には、父が投げたハサミが祖父に当たって、祖父の手首から血が出るといった騒ぎもあったという。
「今思えば、当時の自分はうつになっていたと思います。ものすごいストレスがかかっていて、家の中の物を壊すなどしてしまっていた時期もありました」