完成間近の家の前で馬の世話をするベジール=2003年、コソボ(撮影/長倉洋海)

 コソボ紛争(1998~99年)では、家を焼かれ一族36人で共同生活をしていたクラスニーチェ家の長男・ザビットの家族に惹かれて撮影しました。4年ぶりに訪れると、一家はトラックの荷台で生活しながら家を建て始めていました。最初に訪れたときには、井戸の中に遺体が折り重なっていたり、家族の遺体を掘り起こしている人がいたり、悲惨な状況でしたが、訪れるごとに厳しかった状況も少しずつ変わっていきました。

 一方で、最初の頃と変わらないものもあります。ヘスースは今も幼い頃と同じように相手 の気持ちを和らげてくれるヒマワリのような笑顔を見せてくれていますし、ザビットの一家は小さな家にみんなで仲良く暮らしています。そんな姿にぼくはいつも心が満たされます。

「どうしてぼくだけ…」子どもを撮るきっかけに幼少期の記憶

 1980年、戦場カメラマンを目指していた20代のころです。エチオピアの戦火を逃れソマリアにやってきた難民がいるキャンプを訪れたことがあります。

 強い日差しが照りつける中で、国境からトラックで難民キャンプに移送されてきて疲れ切って地面に座り込んでいた少女を見つけ、ぼくはカメラを向けたのです。その間、想像していなかったことが起きました。その子がこちらを見てほほ笑んだのです。

 どんなにつらい中でも、写真を撮られるなら少しでも元気な自分を見せたい。そんな気持ちだったのでしょうか。それからは紛争地帯でもただ悲しんでいるだけじゃなく、少しでも彼らの心に迫る写真を撮りたいと思うようになりました。

 ぼくが撮るのは、思ってもいなかった表情や姿を見せてくれる人々の写真です。なかでも子どもたちが遠くを見るような表情やフッとため息をつく大人のような表情に心惹かれます。子どもたちがいつも元気で明るいばかりではなく、しんどいところもあるんだなと、知ることができるからです。

 ぼくが子どもを撮るきっかけになったのは、最初に訪れたエルサルバドルの首都の中央市場でした。一生懸命に露店で母親を手伝って働く子どもたちを見てからです。ぼくが幼い頃、家は商店をしていたので、親と一緒に市場に買い出しに行ったり、店の番をしたりしていました。でも「どうして手伝わないといけないの。みんな遊んでいるのに、どうしてぼくだけ……」と思っていたのです。そんな自分と随分違うなあと感心させられました。

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「人は人と出会って過去の自分も今の自分も見えてくる