ところが、90年代バブルがはじけてからこの自由な雰囲気が失われた。能力主義、成果主義、評価活動ということが言われ出した。勘違いしている人が多いんですけれど、「能力主義・成果主義」ということがうるさく言われるようになったのは、経済成長が止まってからなんです。能力の発揮のしようがなく、成果の上げようがなくなってから、そういう言葉がうるさく口にされるようになった。それ以前の「いけいけ」の時代はみんな好き勝手にやっていたんです。誰も能力や成果を査定なんかしなかった。だって、評価や査定なんかいくらやってもイノベーションは起きないし、売り上げが増えることもないんですから。

 でも、経済成長が止まってパイが縮み出したら「パイの取り分」について厳密な基準が必要だと言い出すやつが出てきた。大学でも「評価」という言葉が言われるようになったのはバブル崩壊後です。パイが縮んで来たので、隣の人間の分け前が「もらい過ぎ」に見えてきたんでしょう。貢献度や生産性に基づいて評価して、その格付けに基づいて資源を傾斜配分するという「新しいルール」が導入された。ある時期から「公務員叩き」や「生活保護受給者バッシング」が始まって、「もらい過ぎ」をむしり取るということに人々が熱中するようになった。もちろん、給料を下げても、働くモチベーションが下がり、能力のある人が逃げ出すだけで、何一つ価値あるものは生まれないわけですけれども、それが社会的公正の実現であるかのように思い込んで、いまだに懲りずに同じことを繰り返している人たちがいる。そうやって人の足を引っ張っているうちに日本はここまで衰えたわけですが。

白井:査定主義は結局、減点主義になるのですよね。だから、思い切ったことをやって失敗して大減点されるよりも、何もしない方がよいという判断になります。当然ですよね。だから異次元金融緩和をやってみたところで全然景気浮揚しなかったわけです。金融緩和は、要するにカネを借りやすくする政策ですが、アニマル・スピリットが完全に枯渇しているので誰も借りない。

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