エーザイの抗アルツハイマー病薬「レカネマブ」が、8月21日に厚労省の専門部会で、承認を了承された。その三日後に、この薬の開発史を含む新章5章を追加した文庫版『アルツハイマー征服』を出版したが、これは私にとって20年越しの仕事だった。
きっかけは、2002年7月のある日、アメリカから来日した科学者と朝食をとったこと。デール・シェンクというサンフランシスコの医療ベンチャー出身のその科学者は、無類のチェス好きで、その日も私がパークハイアットのピークラウンジに行くと、朝日の差し込むそのテーブルで一人ポケットチェスをしていた。
シェンクは、その後のアルツハイマー病研究を大きく変えていく駒筋に天才的な一手を放ったばかりのころのことだった。
それまでアルツハイマー病の創薬は、「アセチルコリン仮説」をもとに行われていた。アルツハイマー病患者の脳内を調べると神経伝達物質であるアセチルコリンの濃度が減っていた。この濃度を増やすことができれば、神経信号が再びつながり、認知機能が回復するのではないか、という仮説である。70年代後半に唱えられたこの仮説にのっとって日本の製薬会社エーザイは「アリセプト」を開発、その薬が米国で承認されたのは、96年11月のことだ。
が、この薬は症状を短期間やわらげる対症療法薬にすぎなかった。