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写真に写る小さな商店の前でお年寄りたちがくつろいでいる。撮影場所は九州・天草。白亜の教会で知られる世界文化遺産「天草の﨑津集落」から東へ20キロほど離れた小島、獅子島(鹿児島県)だという。
「日本は本当に広いなと思います。どこへ行っても人が住んでいる」
國領翔太さんは都会から遠く離れた不便な場所に住む人々を撮り続けてきた。ただ、どちらかといえば、海辺よりも、山間部の集落に足を運ぶことが多いという。
「山のほうがなんとなく落ち着く、っていうか。うっそうとした山深くで、いきなり民家が現れる、というのにひかれます。どうして、こんな山奥に人が住んでいるんだろうと、ずっと疑問に思っていた。この作品はそんな興味から始まっています」
国領さんは標高900メートルに位置する南アルプスのふもとの集落、茂倉(もぐら)地区(山梨県早川町)を訪ねたときにエピソードを口にした。
「茂倉の人に、まだ車がなかったころ、病人が出たらどうしたんですかって、尋ねたら、みんなで担いで7時間かけて病院まで運んでいた、と言うんです。信じられない思いがしましたけれど、生まれ育った土地に住み続けたい、という気持ちが伝わってきました」
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山谷に通った日々
国領さんは写真学校時代、東京・山谷のドヤ街を撮影した。現在のテーマとはまるで接点がないというか、対極にあるように感じたのだが、そうでもないという。
「山谷は『一つの村』みたいな、外側とは違う独特なコミュニティーが形成されているんです。なので、今写している場所との共通点を感じます」
国領さんは1990年、横浜市の郊外で生まれた。
「子どものころ、窓を開けると養豚場が見えた。もうその風景は全部住宅街になってしまいましたけれど、生まれ育ったときの風景と今の作品はリンクしている部分があるかもしれません」
東京ビジュアルアーツ専門学校で写真を学び始めたとき、国領さんは「何を撮ったらいいか、わからなくて、花や猫を撮っていた」。
すると、先生から「今度、浅草を撮影する授業がある。そのちょっと先に山谷っていう、お前らが行ったらおしっこをちびっちゃうような場所があるから、ちょっとのぞいてきてみ、と言われた。要するに、はっぱをかけられた」。