行動遺伝学者の安藤寿康氏は、たばこ、アルコール、麻薬などの物質依存や非行や犯罪に関する遺伝と環境の影響について、家庭環境の影響があるものも少なくはないと示している。同氏の新著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、環境による非行と犯罪への影響と遺伝子の関わりを紹介する。
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遺伝と環境が逆転する15歳
非行は犯罪とはまた少し違うメカニズムがあるのではないかと思われます。ここで、非行と犯罪は区別する必要があります。非行とは万引きや不純異性交遊や未成年飲酒・喫煙など、若いときのワルな行為、いってみれば若気の至りでやってしまった過ちです。こういう行為は、悪い友達の仲間になってしまったり、あるいは住んでいる地域にそうした行為が起こりやすかったりすると、なびいてしまいがちです。
一方、犯罪とは強盗、殺人、詐欺といった、もはや若気の至りで済まされない、正真正銘の悪事、反社会的行為のことをいいます。行動遺伝学が共有環境の影響の多さを示しているのは、このうち若気の至りの方の非行です。15歳を境に、それ未満だと共有環境が多いのに対して、15歳以上になると遺伝の影響が多くなり、逆に共有環境の影響はほとんどなくなります。酒やたばこも飲めなければ一人前ではないというピアプレッシャー(友達どうしの同調圧力)が働きやすい環境に置かれれば、未成年喫煙、未成年飲酒も、それをすることが勲章だと思わされるでしょう。
一方、分別がつく歳になっても、衝動に身を任せてものを盗んだり、人をだまして悪事を働いたり、繰り返し性犯罪を犯してしまう根底には、その人の遺伝的素質がかかわってきます。ただ、誤解してはならないのは、そのような遺伝的素質があると必ず罪を犯すとは限らないということです。これらに非共有環境も大きく影響することを示しています。これは一人ひとり異なるだけでなく、同じ人においても状況によって異なる環境の影響を意味します。つまり素質があっても、罪を犯すことのできる状況に出くわさなければ犯罪には至らないのです。どろぼうは、もちろんそれをする人が悪いに決まっていますが、家に必ず鍵をかけ、どろぼうをさせない状況にしておくこともまた大事なことであるのは、言うまでもありません。
このように行動遺伝学は、遺伝についてだけでなく環境についても有効な示唆を与えてくれる知見を生み出しています。ここまで特に人の子の親として行うことのできる環境のつくり方を示してくれている研究例をご紹介してきました。子どもの育ちは親しだいと謳う育児書も少なくありません。それに対して行動遺伝学は、子どもも遺伝的に独自の存在として生きていることが示される以上、子育て万能主義には立てないと考えています。しかしそれは遺伝決定論なのではなく、子どもの遺伝的素質に寄り添って親自身の生き方やふるまい方を調整し、子どものより良い人生に寄与できる可能性もあることを、頑健なエビデンスで示してくれているのです。
安藤 寿康 あんどう・じゅこう
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティ、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている。『遺伝子の不都合な真実─すべての能力は遺伝である』(ちくま新書)、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』『生まれが9割の世界をどう生きるか─遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(いずれもSB新書)、『心はどのように遺伝するか─双生児が語る新しい遺伝観』(講談社ブルーバックス)、『なぜヒトは学ぶのか─教育を生物学的に考える』(講談社現代新書)、『教育の起源を探る─進化と文化の視点から』(ちとせプレス)など多数の著書がある。