仕方なく阿部たちは二本松の薩摩藩邸へ行き、次いで午後2時頃に知人宅で昼食の世話になり、小遣いをもらった。そして寺町の武具店へ行き、籠手と鉢巻を買っていると、そこに少数の護衛の隊士を従えた馬上の近藤が通り過ぎた。
公用のため二条城を訪れていた近藤は、伏見街道を伏見奉行所へ戻る途中であり、阿部らは近藤を待ち伏せするため、間道を伏見の薩摩藩邸へと急行する。そこで2挺の小銃と槍を調達すると丹波橋筋から伏見街道へ出て、阿部は佐原と富山とともに付近の空き家に潜み、同行した篠原と加納は道端に身を隠した。
やがて近藤の姿が見えると、逸った富山が小銃を撃ってしまう。これが近藤の右肩に命中すると、阿部は小銃を棄てて佐原とともに突進したが、近藤は態勢を立て直す。午後4時頃のことである。現場を通りかかった人物によると、阿部も発砲したようで銃声は2発あり、近藤は2、300m先で落馬したものの、追走した隊士の補助で乗馬し、ふたたび馬を走らせたという。
篠原と加納は銃声とともに逃げ出してしまい、阿部らが斬った隊士と馬丁の遺体が現場に残されていた。
近藤受傷の報が大坂に届くと、二十日には徳川慶喜が使者を派遣して近藤を見舞い、松平容保からは二十両の見舞金が贈られた。
その日のうちに近藤は沖田とともに駕籠で大坂へ下り、そこで鳥羽・伏見の戦いの敗報を聞くのだった。
御陵衛士は、元治元年10月に伊東とともに入隊した者が多かったが、上洛以前からの近藤・土方らの同志である藤堂も含まれ、油小路で落命することになった
○監修・文/菊地明(きくち・あきら) 1951年東京都生まれ。幕末史研究家。日本大学芸術学部卒業。主な著書に『新選組 粛清の組織論』(文春新書)、『新選組全史(上・中・下)』(新人物往来社)、『新選組 謎とき88話』(PHP研究所)、『土方歳三日記(上・下巻)』(ちくま学芸文庫)ほか。
※週刊朝日ムック『歴史道Vol.28 新選組興亡史』から