1955(昭和30)年の大阪・千日前の朝の法善寺横丁。太陽が昇りきる前に打ち水をするのが、各商店の日課。奥には天秤を担いだ物売りの姿が見える
1955(昭和30)年の大阪・千日前の朝の法善寺横丁。太陽が昇りきる前に打ち水をするのが、各商店の日課。奥には天秤を担いだ物売りの姿が見える

 また体感的に気温の変化を感じるだけでなく、地面がぬれていると視覚的にも涼しく感じるのも、「打ち水」の効果と言えるだろう。

 そもそも打ち水は安土桃山時代に、茶の湯の際にお客さまを迎える礼儀作法として茶室の前を清めるために始まった風習。それが江戸時代になると、涼をとる習慣として広く一般に定着していく。

■路上で買う「すいか」

 昭和の頃は、タラちゃんのような未就学児や、ワカメのような小学校低学年の子どもたちのお手伝いとして、日常的に行われていた。特に飲食店や商店は、開店前に打ち水をしてお客さまを迎えるのが礼儀であり、夏の風物詩だった。

 現代の東京でも東京オリンピック・パラリンピックの猛暑対策として、小池百合子都知事号令のもと、打ち水作戦が展開された。ニュースで打ち水をする風景が何度も流れていたので、覚えている方も多いかもしれない。

 昭和のみならず、平成、令和の今も、夏の果物と言えば「すいか」。子どもの頃、夏のキャンプや海水浴で一度はふるまわれたことがあるのではないか。漫画「サザエさん」にもカツオやワカメの大好物として何度も描かれている。

 そんな庶民の味方のすいかも第2次世界大戦中は「贅沢(ぜいたく)品」として、国内での栽培が禁止されていた。戦後もしばらくは台湾からの密輸入品がほとんどだったよう。

 終戦から3年後の48(昭和23)年には、少量ではあるが、すいか用の肥料配給が再開され、最盛期には庶民の手に入るようになった。以降は、都心の路上でもすいかを売る人の姿を、しばしば見かけるようになっていく。

■今はエルニーニョも頻発

 サザエのいとこで、カツオのイタズラの師匠ともいうべきノリスケ。64(昭和39)年7月8日朝日新聞の朝刊に掲載された漫画では、ノリスケが路上で手に入れたすいかで、背筋の凍るようないたずらをしている様子が描かれている。人間の頭を想起させる球体から、滴る赤い汁を見つけた人は、さぞかし震え上がったことだろう。人が肝を冷やすと、体感温度も下がるのは、昔も今も変わらないようだ。

 昭和の夏を振り返ってみると、エアコンや多機能冷蔵庫がなかったにもかかわらず、夏を楽しむ姿は環境にやさしく、サスティナブルで、今より快適に過ごしていたようだ。

 今年の夏も、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より高くなる「エルニーニョ現象」の発生が予想され、猛暑になる可能性が高いと気象庁が発表した。この現象が起こると日本が冷夏もしくは猛暑などの異常気象になる可能性が高くなるとされる。ちなみに「エルニーニョ現象」という言葉が日本の気象ニュースで頻繁に使われ出したのは、平成になってから。今では聞かない年の方が少ないほどだが、昭和には耳慣れなかった言葉だ。

 地球温暖化が叫ばれて久しい時代だが、「サザエさん」で描かれている昭和の夏を参考に、少しでも快適に過ごしてみてはどうか。(編集部・工藤早春)

AERA 2023年7月10日号

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