渡辺美奈代(撮影/門間新弥)
渡辺美奈代(撮影/門間新弥)

 一方、バラエティー番組では志村けんとの共演が多かった。

「ドリフターズの番組や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』『志村けんはいかがでしょう』などに出させていただきました。『バカ殿』には数年間、腰元として出ていました。カツラと着物を一日中、つけっぱなしだったのはちょっとつらかったですね」

 アイドル時代の渡辺は、マスコミに追いかけられるようなスキャンダルはなかったような気がするが、それを伝えると、渡辺はこう話した。

「スキャンダルで追っかけられたのは夫との結婚が決まる前、1回だけです。私はスタッフの方にも恵まれていたので、本当に守られていたと思います。お酒が飲めないし、酔っている人がちょっと苦手だったので、夜遊びするところには本当に行ったことがなかったんですよ」

 そもそも、自由な恋愛はできない状態だったという。たとえば歌番組の「ザ・ベストテン」(TBS系)や「歌のトップテン」(日本テレビ系)に出演する際は歌手たちはひな壇に座るが、そこで他の歌手と話すこともままならなかった。

「私がひな壇に座っていて、ちょっとでも隣の誰かとしゃべっていると、事務所の社長からチェックが入って、『次からは座席交換してもらえ』という指示が出ていました。だから、お隣の方は常に変わっていました。美容院へ行くときも、スーパーへ行くときも、常にマネジャーがついてきました。だから、お財布を持ったこともありませんでした。マネジャーは男性でしたが、お手洗いでも、女性トイレの前で待っていましたから。帰りは自宅の玄関先まで必ず送ってくれました。でも、私はそれが普通だと思っていたんです」

 そんな鉄壁のガードの中、渡辺が夫と知り合ったのは21歳ごろ。当時、夫は歌手の郷ひろみの付き人をしていた。後編では結婚に至るまでのエピソードなどを明かす。

(AERA dot.編集部・上田耕司)

※【後編】<渡辺美奈代が今だから語れる結婚秘話 「1度だけ口頭で伝えた電話番号を夫が覚えていたんです」>に続く

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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