渡辺美奈代(撮影/門間新弥)
渡辺美奈代(撮影/門間新弥)

 それからは、仕事漬けの毎日だったという。

「東京の空をゆっくり見上げる時間もなかったですね。本当に仕事ばっかりしていました」

 プライベートでは、おニャン子の会員番号19番で「ゆうゆ」の愛称で親しまれた岩井由紀子と仲良しだった。

「年齢はゆうゆの方が1つ上。おニャン子に加入した時期もわりと近かったので、地方のツアーで泊まりになると、ホテルの部屋はいつも2人一緒でしたね。松田聖子さんの話をしたり、2人ともまだ高校生だったので、ベッドの上で一緒に宿題をしたりしたのを覚えています」

 岩井は高井麻巳子と85年9月にアイドルユニット「うしろゆびさされ組」を結成。渡辺が加入する前に既に売れっ子だった。ただ、ソロデビューしたのは渡辺の方が8カ月ほど早い。渡辺はおニャン子在籍中の86年7月、「瞳に約束」でソロデビュー。このデビュー曲から5曲連続で、オリコンシングルヒットチャート1位を記録した。驚異的な記録だった。

「ありがたいことですね。それは私の力ではなく、ファンのみなさんの力だと思います」

 おニャン子の曲の作詞は秋元康氏、作曲は後藤次利氏が手掛けることが多かった。

「秋元さんはおニャン子の生みの親ですが、たまにコンサートやレコーディングに顔を出すくらいでした。レコーディングの時は、次から次へと変更になる歌詞がファクスで流れてきていましたね」

 後藤次利氏とはスタジオでいつも顔を合わせていたという。

「後藤さんは、レコーディングの時、必ずといっていいほどスタジオに来てくれて、私の隣でハモってくれることもありました」

 おニャン子は87年に解散。それからの渡辺は一時期、女優としての活動が目立つようになる。

 ドラマでは片岡鶴太郎とドラマ「季節はずれの海岸物語」(フジテレビ系)で共演した。

「年1~2本くらい放送されて、4年くらい共演しましたね。片岡さんは、私の子どものころはマッチさん(近藤真彦)などのモノマネでブレイクしていましたけど、共演したころはすてきでダンディーな男性に変わっていました」

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